あれから1年過ぎました。
早いもので、兄貴が倒れてから1年が過ぎた。
あの時兄は、ICUから出た後2、3日程で麻痺していた右腕が嘘のようにスムーズに動いていた。
ビックリするやら喜ばしぃ事やらで、何はともあれ一安心だった。
脳の腫れや出血があると神経を圧迫して麻痺が出るらしぃ。
治まると嘘みたいにてが動く。
何とも人の体は繊細だ。
一般病棟に移ってからはひたすらリハビリで、まる一ヶ月の入院だった。
退院した兄にはまだ右足の麻痺が残っていた。
なので、本人はとっても焦って、会社に復帰したがっていた。
独り身なので生活が不安なんだろうなぁ~
無理しないでゆっくり頑張ろうと言うのが精一杯だった。
ICU5日目
5日目は大分顔色も、食欲も表情も良くなっている感じがした。
でも、右手はまだ中度の麻痺がある。
鼻からのチューブや点滴が外れていたのが回復を表している気がした。
病院の方からは、心配事やこれからの計画等のケアをしてくれる担当の方と話をした。
今一番の心配事はやはりお金の事と社会復帰の2点だけ。
ICUにもいつまでいるのか、どこまで体が動くようになるのか、考えるときりがない。
ここで一つ気になったのが、兄の不器用さ。
元々おっとりしていて不器用な兄なので今度の事の症状なのか、天然なのかがわかりづらい時がある。なので退院後の食生活を改善させることに一抹の不安が残る。
でも今は兄の回復を喜びたい。
頑張れ❗兄ちゃん‼️
ICU4日目
今日は、どうも兄の顔が優れない。
聞くと、トイレ問題‼️
兄は意識ははっきりして、自力で体が何とか動かせるのでやはりオムツに大きい方をするのに抵抗があった。
小はバルーンが付いているので大丈夫。
食事もゼリーやお粥とステップアップしていたからそりゃ催すよ❗
で、多分ずっと我慢していて限界の時に私が来たみたい。
なので、看護師さんに聞いた。
私「あのー、兄が大きい方がしたいらしいんですが、オムツの中にするのが嫌みたいで…」
看護師さん「おしりに透ける便器がありますからそれでしますか?」
兄はトイレに行ってしたかったみたいだが、看護師さんによると、倒れてからまだ1回も車イスに乗る練習をしていないから今はできませんとの事。
明日からその訓練が始まる予定だったので兄に「恥はかき捨てじゃ、しゃーない❗」
と言っておしりに透ける便器でする事にした。
その間私はICUの外に出され、終わった後兄の顔を見るとスッキリしていた(笑)
その後出された食事
・小さめのおにぎり3個
・蒸し野菜と鶏肉
・パイナップル
・豆乳コーヒー
を食べるため、体制を整えようとモゾモゾ体を動かしただけで兄の鼻に汗がにじみ出ていた。何とか麻痺のある右手を使いながら完食した。
しかし、今日は右手の動きが悪いらしく
心配になった私は看護師さんにベッドの上で手足を動かしても言いかと聞くと、「むしろ動かしてください」と言われ兄に伝えた。
次の日、Amazonでにぎにぎボールを購入した。
ICU3日目
今日は夕方の面会時間で来た。
ICUに入ると色々制限があり昼と夕方の2回1時間づつしか面会できない。
取り敢えず、出血も止まり命に別状がなくなったので、自分の生活もあるので仕事をある程度こなしてからの面会とした。
今日の兄はもうほぼ通常な感じに見えた。(顔)
麻痺のある右手足もある程度自力で動かせていたので少し希望が見えてきた気がした。
私は今日も兄を笑わそうとずっと喋り続けた。
兄も会話が出来て受け答えも日常会話チックに出来た。
兄「お前に迷惑かけてごめんな。こんなはずじゃなかったんやけど...」
私「そんなんはいいから、とにかく元気に生きとってくれたらいいで。」
兄「うん。」
私「リハビリ次第で体も動かせると思うから、もしその時が来たら人生で一番頑張ってよ❗面倒臭いとか、まぁエエかでやり過ごしたらいかんで❗」
兄「ホンマに頑張らないかん‼️」
そんな会話を1時間めい一杯した。
1時間なんてあっという間だった。
帰りは兄の自宅(実家)に寄って必要なものを取りに行った。
相変わらず男の独り暮らしなので掃除は行き届いてなく埃が積もっていたのでどうせしばらく入院だしコンセント抜いとこう❗
火事になっても困るし。
と思いコンセントを抜いたり、スイッチを切ったりした。
ついでに(笑)父親の仏壇に手を合わせて帰路に着いた。
家まで距離があるため、やはり色々考える。「退院後の食生活どうしよ~」とか「血圧計買おうかな~」とか考えているうちに、数年前に大腸がんになった兄の友人を思い出した。
彼も独身であったため、食生活から大腸がんになったくちでその後食生活を変え今は再発5年以上していない。
兄と共通するものがあったので、是時ともアドバイスをしてやってくれと電話をかけた。
勿論、彼も二つ返事で引き受けてくれた。
持つべきものは友👍
ICU2日目
次の日、お昼前に面会のため病院に到着した。
今日は、兄の会社の上司と病状や今後の事などについて話をした。
上司はまだ面会ができないので外で話をした。
とても心配して下さっており、まだ信じられないと言う感じであった。
勿論、仕事復帰も前提でお話しさせてもらったが、最悪の事態も伝えた。
兄は必要とされているんだなぁと感じたと同時に、回復がどこまでのものになるのかわからない現実を考えると辛くなった。
上司も面会できない今が焦れったいみたいで真剣に兄の病状を聞いてくれた。
上司「お兄さんになんにも心配するなと伝えてください。ゆっくり療養してください。」
と言って帰られた。
病室に行き兄に面会すると、昨日の様子からは明らかに違う回復が見えた。
少し体を動かすと言うリハビリを行っていた。
少しホッとした。
主治医の先生からは
「脳の出血ももう止まっているみたいなので、後は自然に吸収されてくれるのを待ちましょう。」
私「え?自然に吸収されるんですか?」
(溜まっている血液の行方が分からず、昨晩からずっと気になって眠れなかった。)
私「血は止まってもその後どうなるんだろうって考えてたら眠れなくなりましたよ!吸収されるんですね~⁉️」
先生「はい。打撲と一緒で内側に血液が溜まってアオタンになるのと一緒ですよ。それが吸収されると徐々に脳内の血液の部分が閉じて行き傷みたいになりますが、脳への圧迫がなくなっていくんですよ。」
私「へーすごい‼️」(無知でした💦)
その後、言語聴覚師さんが食事としてゼリーを口にする所を傍らで見守った。
まだ右半身に麻痺はあるため誤飲が心配だったが、ゆっくりゼリーを噛み締め飲み込んで間食した。
食欲も普通にあるらしい。
麻痺している手足も感覚はあるみたいだ。
私「痒くなったりする感覚ある?」
兄「うん」
私「これ分かる?」(指で✌️をつくる)
兄「2」
私「これは?」(指を3本にする)
兄「3」
私「よろしい❗」
私はベッドに横たわる兄を笑わそうとお茶らけて話しかけた。
兄は笑ってくれた。
一緒に母も来ていたが、母も私のお茶らけに乗ってくれた。
脳内に出た血液に触れた脳組織はその時点で死滅するらしい。
それが吸収後どうなるのかまだわからないけど、ゆっくりと回復を待とう。
そう言い聞かせた日だった。
兄が倒れたと言う事。
人間、年齢を重ねると様々な困難が訪れる....
決して他人事じゃなくて、自分にも訪れる。
40代半ばにして、夜の7時位に3歳年上の兄(バツイチ独身)から1年振りくらいの電話が鳴った。
私「モシモシ?兄貴久し振りやん。なんか用事か?」
兄「....うん、昨日から体の左側がおかしいんや。
動かんのや....どうしたらええ?」
私「え?いやいや、病院行けよ‼️」(ふつうどうしたらって妹に聞くか?)
兄「うん。そーやんなぁ」
私「え、マジで動かんの?」
兄「うん...」
私「明日病院てーのは無理やなぁ。救急車呼ぼうか?それか私がそっち行ってから救急車呼ぶ?」
兄「...うん」
この時、私は自宅で旦那と3歳の娘と夕食中。
旦那「こっちから行く間に容態悪くなったらいかんやろ‼️電話できるなら、自分で救急車呼べって言え。搬送先決まったら連絡してこいと言え❗」
と言われ、それを兄に伝えて、取り敢えず自力で救急車を呼ばせた。
30分して電話をかけるが、出ない。
40分後に救急隊員から搬送病院を知らせる電話が鳴った。
私の住む町からは1時間程かかる病院だったが、すぐに車を走らせた。
病院到着後30分程で先生からの説明があった。
先生の説明によると、どうやら
「脳出血」
だった。
今までこんな事身近に起こったこともなく、最悪の事ばかり頭をよぎってしまう。
大人しく静かでのんびり屋の兄、それとは真逆で、何かと騒がしい私はウマの合う兄妹であった。
まさかその兄が脳出血になるとは....
病院に居るときは、兄の彼女や職場の方への連絡で神経が張っていたが、自宅に帰ると、急にこれからの事を考え、大変な事になったと、怖じ気づいて眠れなくなった。
結局、右半身に麻痺が出ていて(電話時は意識低下で左右間違えて言っていた)言語障害も多少出ている状態。
脳内の出血量は15cc程で、緊急手術ではなく、経過観察としてICUにて入院となった。
父親は7年前に亡くなっており、母とは子供の頃離婚しており、連絡は取っているが一緒には住んでいない。
肉親は私だけになる。
.......と、言うことは❗私が引き取らなければいかん‼️マジで‼️どーしよ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️
そんな事を布団の中で考えだしたら眠れなくなった。